合戦場の枝垂桜
2007.03.04 Sunday 13:43
三春周辺には多くの銘木がありますが、今回は「合戦場の枝垂桜」をご紹介しましょう。 これは「かっせんじょう」ではなく「かっせんば」と読むそうです。
三春周辺の桜の写真の中で菜の花と一緒に写っているのがあれば、それが合戦場の枝垂桜です。 この枝垂桜自体は立派な銘木ですが、銘木がたくさんある三春周辺では、この菜の花とのツーショットがこの枝垂桜を有名にしている理由の一つと思われます。

さて、「合戦場」ですが、この合戦とは一体いつの、どの戦いのことを指すのでしょうか? 合戦場の枝垂桜の説明では、源義家と地方豪族の安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟がここで戦ったという説明がされています。 源義家といえば、八幡太郎義家の名で有名な平安時代後期の武将ですが、奥州鎮圧など多くの乱で活躍し、白川法皇が武勇の士として賞賛したほどの武将です。 この義家が戦ったのが、当時陸奥国を支配していた安部貞任・宗任兄弟です。
しかし、この戦いは実は「前九年の役」と呼ばれる長い戦いの一幕です。 前九年の役はもともと奥州で勢力を誇っていた安部頼良(後に頼時と改名)と、これを討伐のために朝廷から派遣された源頼義との戦いです。 源頼義は一度は安部頼良と和解しますが、後に頼良を挑発し再び戦を起こします。 しかし、思惑とは逆に頼義は苦戦を強いられます。 そこで頼義は調略作戦に転じ、安部一族の安部富忠に後継者の約束をし、寝返らせることに成功します。 これを見た頼時は、反旗を翻した富忠を説得しようと向かった先で襲撃され、この世を去ってしまいました。
頼義はこれ幸いに一気に阿部氏を滅ぼそうと決戦を挑みますが、頼時の子安倍貞任・宗任に逆襲されてしまい、子の義家ともども敗走することとなってしまいます。 その後頼義は、中立を保っていた清原氏を説得し、結局これが転機となって形勢は逆転、阿部氏は滅亡することとなりました。 安部貞任はこの戦いで戦死、宗任は現在の四国今治市に位置する伊予国に流され、その後現在の九州福岡県に位置する筑前国に再び流されています。 しかし、後年この地で日朝・日宋貿易に貢献したと伝えられています。
ところで、滅亡した阿部氏を継いだのは朝廷から戦績を認められた清原氏ですが、この清原氏も内紛から後三年の役で滅亡してしまいます。 そして、これを受け継いだのが藤原清衡で、奥州藤原氏の初代当主です。 この後、源頼朝により滅ぼされるまで約100年にわたる奥州藤原三代の繁栄が続きます。
合戦場の枝垂桜は樹齢200年程度と言われていますので、もちろん950年ほど昔の合戦場にあったわけではありませんが、その頃にもこの枝垂桜の先祖が合戦場で美しい花を咲かせていたのかも知れませんね。
更に詳しい情報はビデオフォーシーズンズのホームページにありますので是非お立ち寄りください。
また、三春他、東北の桜をハイビジョン収録したDVD「東北桜紀行」を発売しております。
三春周辺の桜の写真の中で菜の花と一緒に写っているのがあれば、それが合戦場の枝垂桜です。 この枝垂桜自体は立派な銘木ですが、銘木がたくさんある三春周辺では、この菜の花とのツーショットがこの枝垂桜を有名にしている理由の一つと思われます。

さて、「合戦場」ですが、この合戦とは一体いつの、どの戦いのことを指すのでしょうか? 合戦場の枝垂桜の説明では、源義家と地方豪族の安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟がここで戦ったという説明がされています。 源義家といえば、八幡太郎義家の名で有名な平安時代後期の武将ですが、奥州鎮圧など多くの乱で活躍し、白川法皇が武勇の士として賞賛したほどの武将です。 この義家が戦ったのが、当時陸奥国を支配していた安部貞任・宗任兄弟です。
しかし、この戦いは実は「前九年の役」と呼ばれる長い戦いの一幕です。 前九年の役はもともと奥州で勢力を誇っていた安部頼良(後に頼時と改名)と、これを討伐のために朝廷から派遣された源頼義との戦いです。 源頼義は一度は安部頼良と和解しますが、後に頼良を挑発し再び戦を起こします。 しかし、思惑とは逆に頼義は苦戦を強いられます。 そこで頼義は調略作戦に転じ、安部一族の安部富忠に後継者の約束をし、寝返らせることに成功します。 これを見た頼時は、反旗を翻した富忠を説得しようと向かった先で襲撃され、この世を去ってしまいました。
頼義はこれ幸いに一気に阿部氏を滅ぼそうと決戦を挑みますが、頼時の子安倍貞任・宗任に逆襲されてしまい、子の義家ともども敗走することとなってしまいます。 その後頼義は、中立を保っていた清原氏を説得し、結局これが転機となって形勢は逆転、阿部氏は滅亡することとなりました。 安部貞任はこの戦いで戦死、宗任は現在の四国今治市に位置する伊予国に流され、その後現在の九州福岡県に位置する筑前国に再び流されています。 しかし、後年この地で日朝・日宋貿易に貢献したと伝えられています。
ところで、滅亡した阿部氏を継いだのは朝廷から戦績を認められた清原氏ですが、この清原氏も内紛から後三年の役で滅亡してしまいます。 そして、これを受け継いだのが藤原清衡で、奥州藤原氏の初代当主です。 この後、源頼朝により滅ぼされるまで約100年にわたる奥州藤原三代の繁栄が続きます。
合戦場の枝垂桜は樹齢200年程度と言われていますので、もちろん950年ほど昔の合戦場にあったわけではありませんが、その頃にもこの枝垂桜の先祖が合戦場で美しい花を咲かせていたのかも知れませんね。
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