忠七桜と小沢の桜
今回は三春周辺の桜のうち、忠七桜と小沢の桜をご紹介します。

といっても、この2本の桜が特に関係あるわけではなく、筆者の印象に残る桜という共通点から取り上げてみました。 両方とも三春滝桜からは結構離れており、車での移動でないと行くのが大変でしょう。 また道も決して分かりやすいわけではなく、しかも観光地化していないばかりか、駐車場も特にありません。 しかし、幸か不幸か訪れる観光客は少なく、ゆっくり堪能することができます。 

三春滝桜は三春を訪れたほとんどの方が行くと思いますが、周辺の桜を回る方はぐっと少なくなるようです。 三春周辺には多くの銘木が点在しており、せっかく三春まで来たならこれらを見ないで帰る手は無いでしょう。 滝桜や紅枝垂れ地蔵桜など一部の有名な桜は駐車場も多くあり、観光ポイントとして充実していますが、その他の桜では地方のゆったりした時間をすごせます。 

そういった意味で、今回紹介する忠七桜と小沢の桜はお勧めできるポイントと思います。

忠七桜は郡山市中田町にあります。 細い道の脇に車を停めるしかなく、他の車の通行を妨げないよう注意が必要です。 忠七桜は花の色が濃いピンクで、それほど大きな木ではありませんが、何か華やかさを感じさせる桜です。 撮影する場合には青空と絡めるとひときわ映えます。 

忠七桜

この桜木の向かいが小高くなっており、ここから忠七桜を見ることができます。 写真では十分引けますので、桜木の全体像も撮影できるでしょう。 「東北桜紀行」に収録した忠七桜はこの場所から撮影しています。

所在地 : 郡山市中田町牛縊本郷(うしくびりほんごう)

一方、小沢の桜は田村市船引町にあります。 たばこ畑の中にある1本桜ですが、姿が美しく凛とした存在感があります。 また、傍にある祠(ほこら)がうまくマッチしているとともに、遠景には移ヶ岳(うつしがたけ)が入り、素朴な景観を観ることができます。 この場所は、映画「はつ恋」のロケ地としても有名です。

撮影する場所としては結構広いのですが、鉄塔や民家があり、これらを入れたくない場合はうまく構図が成り立つ場所は限られています。 移ヶ岳と桜の木を構図するためにはかなり低い位置でカメラをセッティングする必要があり、またそれが成り立つポイントも意外に多くありません。

小沢の桜

無料駐車場が道路の反対側に約20台程度あります。

所在地:福島県田村市船引町字堂前58−2

今回ご紹介した忠七桜、小沢の桜を含め、三春の桜や角館の桜風景など東北の桜名所をハイビジョンで収録したDVD「東北桜紀行」を発売しています。 視聴はビデオフォーシーズンズのホームページからできます。
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合戦場の枝垂桜
三春周辺には多くの銘木がありますが、今回は「合戦場の枝垂桜」をご紹介しましょう。 これは「かっせんじょう」ではなく「かっせんば」と読むそうです。

三春周辺の桜の写真の中で菜の花と一緒に写っているのがあれば、それが合戦場の枝垂桜です。 この枝垂桜自体は立派な銘木ですが、銘木がたくさんある三春周辺では、この菜の花とのツーショットがこの枝垂桜を有名にしている理由の一つと思われます。

合戦場の枝垂桜

さて、「合戦場」ですが、この合戦とは一体いつの、どの戦いのことを指すのでしょうか? 合戦場の枝垂桜の説明では、源義家と地方豪族の安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟がここで戦ったという説明がされています。 源義家といえば、八幡太郎義家の名で有名な平安時代後期の武将ですが、奥州鎮圧など多くの乱で活躍し、白川法皇が武勇の士として賞賛したほどの武将です。 この義家が戦ったのが、当時陸奥国を支配していた安部貞任・宗任兄弟です。 

しかし、この戦いは実は「前九年の役」と呼ばれる長い戦いの一幕です。 前九年の役はもともと奥州で勢力を誇っていた安部頼良(後に頼時と改名)と、これを討伐のために朝廷から派遣された源頼義との戦いです。 源頼義は一度は安部頼良と和解しますが、後に頼良を挑発し再び戦を起こします。 しかし、思惑とは逆に頼義は苦戦を強いられます。 そこで頼義は調略作戦に転じ、安部一族の安部富忠に後継者の約束をし、寝返らせることに成功します。 これを見た頼時は、反旗を翻した富忠を説得しようと向かった先で襲撃され、この世を去ってしまいました。

頼義はこれ幸いに一気に阿部氏を滅ぼそうと決戦を挑みますが、頼時の子安倍貞任・宗任に逆襲されてしまい、子の義家ともども敗走することとなってしまいます。 その後頼義は、中立を保っていた清原氏を説得し、結局これが転機となって形勢は逆転、阿部氏は滅亡することとなりました。 安部貞任はこの戦いで戦死、宗任は現在の四国今治市に位置する伊予国に流され、その後現在の九州福岡県に位置する筑前国に再び流されています。 しかし、後年この地で日朝・日宋貿易に貢献したと伝えられています。

ところで、滅亡した阿部氏を継いだのは朝廷から戦績を認められた清原氏ですが、この清原氏も内紛から後三年の役で滅亡してしまいます。 そして、これを受け継いだのが藤原清衡で、奥州藤原氏の初代当主です。 この後、源頼朝により滅ぼされるまで約100年にわたる奥州藤原三代の繁栄が続きます。

合戦場の枝垂桜は樹齢200年程度と言われていますので、もちろん950年ほど昔の合戦場にあったわけではありませんが、その頃にもこの枝垂桜の先祖が合戦場で美しい花を咲かせていたのかも知れませんね。

更に詳しい情報はビデオフォーシーズンズのホームページにありますので是非お立ち寄りください。

また、三春他、東北の桜をハイビジョン収録したDVD「東北桜紀行」を発売しております。 
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